The long waiting

If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.

悲しみを信仰で埋めたか、あるいは抱きしめられたかの違いについて

http://toianna.hatenablog.com/entry/2017/02/20/173000

 

 ブログの悲しみの話は少しだけわかる。一人家財を管理していたぼくの祖母は祖父を失い信仰にドハマリした。認知症でそれ以上財産の場所がわからなくなるまで、自分の心の平穏のために10数年でおおよそ1億5千万円を信仰と生活に費やした。

 

  財産を溶かし尽くし、生活費にも事欠くようになった祖母に助けを求められるまで、僕を含め親族は誰も向き合えなかった。彼女は今、老人ホームに入居しているらしい。母が月に一度会いに行くだけだ。

 

 祖母の息子、つまりぼくの父は、働き盛りの頃に障害が残るほど身体を悪くして失職している。家族は収入を失っていたけれども、父のためと称して、祖母は信者友達が紹介した700mlで3000円ほどのジュースを母に買わせていた。祖父がぼくに用意した学資保険も溶けたおかげで、就職と同時に500万円程度の奨学金の返済義務が手元に残った。祖母に言わせるとぼくが大学を出て職業につけたのは信仰のおかげということになっているという。

 

 ちなみにそんな中、祖母のたくさんの寄付も足しになって、宗教団体は素敵な博物館を建設した*1

 

 実をいうと、親族の中で祖母は夫である祖父を失った寂しさを埋めるために信仰にすがったことに「なっていた」というのが正確な表現だ。というのも、祖父の存命中、幼いぼくは祖母と二人っきりになったときに「手かざし」をされてひどく辱められた気持ちになったことを覚えている。このことは誰も知らない。

 

 つまり、祖母は祖父が亡くなる前から抗いきれず受け止めきれない悲しみと孤独を抱えており、信仰はその心の穴を埋めてくれていたわけだ。そして祖父が亡くなって以降、ただでさえ付き合いづらい人が信仰にのめり込みながら更に周囲との接点を失っていたのだった。でも、少なくとも彼女は救われていたんだろう。

 

 祖母の話。祖母は幼いころに養子として家族から引き離された。そして、敗戦によって新たな拠り所となった家の没落を体験している。成人してからは、なによりも跡取りを産む「役割」を期待されて古い家に嫁ぎ、長男を流産した。同じように養子を経験している彼女の夫は、給与の大半をアルコールに費やしていたという。亡くなった長男の墓は、家族の墓から少し離れたところに、ひっそりと置かれている。

 

 ぼくはいつもどこかでマウンティングと親から子への過度な期待が介在する親族関係の中で育った。傷ついた人間同士の関係がこじれるとどうなるかを、祖父母、両親、私達兄弟との間で痛いほど観てきたし、体験してきた。ぼくも傷つける側にいたこともある。誰も心の底で互いに尊重しあえない家族関係は、同じ場所で味わう孤独だ。

 

 はじめにもどる。トイアンナさんの文章がとても好きだ。文章の知的な切り口や雰囲気が素敵だなあとか、ハイスペ女子すご!と思ったりもする。

 

 でも一番惹かれるのは、きれっきれの文章の書き方やテクニックとか、英語ぺらぺらで高学歴ですごい高度な仕事をしてたくさんお金を稼いで美味しいもの食べてるとか、そういうことではなくてそのさらに向こう側に、自分の孤独や悲しみを抱きしめて咀嚼できた人が持つ他人の痛みへの配慮とやさしさを感じ取れる気がするところだ。

 

 ぼくも協力してもらいながら少しずつ悲しみを抱きしめる作業に取り組んでいる。そのきっかけはブログで読んだ幾つかの記事のおかげだ。執筆者の方々にはほんとうに感謝している。ありがとう。抱きしめる作業が進むことで心理学に関心を持て、こうしてブログで自分の内面を表現することに意味があるんだと思えるようになった。

 

 もちろん、ここに至るまで全部周囲が悪いだなんて言うつもりはない。でも、ぼくが自分の心の穴を抱きしめて咀嚼しきれるまで彼女が生きているかはわからない。

 

 すごく抽象的でまとまりのない文章だけど、今のところ祖母と自分の関係に関して整理できることばはこのくらい。

  


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