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The long waiting

If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.

『心理学の名著30』,08ダマシオ『デカルトの誤り』(二〇〇五)―身体と精神は別ではない

読書メモ『心理学の名著30』

 実はこの08の前の07で、ラマチャンドンという人の本を紹介するはずだったんだけど、あまりにもちんぷんかんぷんすぎて飛ばしました。ちょっと手に負えない。。。でも、08のデカルトの話なら昔背伸びして思い出したことあるからがんばれると思って取り組んでみることに笑

 

 

 1.重要な概念

デカルトの誤り

 デカルトは誤りだったとダマシオは言う。(中略)身体の一部である脳はコンピュータで、心はプログラムである、というような切り分けはできないのだ。どうやらダマシオは、心身を二元論的に考えることは誤りで、存在することは、身体でもあり心でもあるー延長でもあり思惟でもあるーということを「デカルトの誤り」というタイトルで表現したいらしい。p.71「神経心理学における有名な参加者たち」

 たしかデカルトの考えは、「この世界で確実に言えることを探そう、そのための方法はこうこうで(◯◯を枚挙する)、それでいろいろ考えてみたら確かだといえることは何一つないけど、でもたったひとつ今こうして考えている私がいることは事実だ」的なことを本にまとめた人だ。文中では「思惟と延長の分離」、「世界とは独立に近代的自我が確立する」と表現されている。心身二元論。たしかはじめて聞いた時はけっこうしっくり来たはず。

 

②ソマティック・マーカー仮説

 ダマシオのソマティック・マーカー仮説とは何か。人間は外界で何かが起きた時、あるいは、何かをしようとした時に、身体全体で何らかの反応をしており、それは化学的な基盤をもつ何ものかとして現れるというのである(ここで大事なことは物理学的基盤ではなく化学的基盤だということである)。逆に考えると、何らかの化学的な身体反応があり、私たちはそれをー意識的か無意識的かは別にしてー感知しうるからこそ、判断において不要な選択肢を無視することができる。p.75「有機体としての人間」

  つまり、精神と身体を完全にわけてはいけない、身体(より正確には神経生物学的基盤に基づく有機的メカニズム)と心の作用との関係を一緒に考えようということだ。例に挙げられてる人物は前頭葉組織を切除され、二次的な感情を失った。理性的な判断だけではなく、身体の化学的反応→感情的反応が日々の判断を支えているというわけだ。

 

2.学説史上の位置づけ

①ダマシオとラマチャンドンとの関係で

 行動についてこの二分法を唱えたのがスキナーである。パブロフは受け身行動を研究したのに対し、スキナー自身は自発行動の研究をするとしていたのである*1。それに即していえば、判断を取り上げているダマシオは自発的行動、痛みや共感覚を取り上げるラマチャンドランは受身的行動に注目していると言えるかもしれない。p.75「有機体としての人間」

  この二分法とは受身的行動と自発的行動の区分で、注釈はこのブログのスキナーを扱った記事に飛んでいる。この本の中ででてくる神経っぽいはなしがよくわからない。高校の時に生物なんて一切取らなかった。ここらは勉強していく中でいつかは取り組まないといけないんだろうな。

 

 

デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳 (ちくま学芸文庫)

デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳 (ちくま学芸文庫)