『心理学の名著30』,11フロイト『精神分析入門』(一九一七)―心理学と精神分析のつながり
『精神分析入門』を初めて読んだのは、たしか大学生の時だった。読み始めはけっこうするする頭のなかに入ってきたけど、終盤にかけては「全部性じゃないですか。。。」とうんざりしたことを覚えている。夢の話とか言い間違えとかありそうだった!
『名著30』での紹介の仕方の関係から、精神分析とはこうです、とはまとめづらい。とはいえ、『精神分析入門』の「錯誤行為」「夢」「神経症総論」という三部構成に沿って整理されているので、これにあわせて抜き出してみる。
1.重要な概念
①「錯誤行為」
「錯誤行為」とは例えば「言いまつがい」である(中略)フロイトによれば、錯誤行為は何らかの相対立する心的な意向同士の葛藤を表現したものであり、不快からの逃避が動機だという。開会宣言をする時と場所で「閉会」と言いまつがいする議長は、公的には議長として閉会する意向がある。しかし、その裏には閉会したくない意向がある。そしてその葛藤から、言いまつがい(錯誤)が生まれる。p.99「独創的な発想」
②「夢」
また、夢という現象に心理学的な分析を持ち込んだのもフロイトの独創的なところである。(中略)実は、夢というものは外界を反映させながら、起きなくてすむように辻褄あわせのストーリーを提供しているのである。よく、夢見が悪いから飛び起きてしまった、などと言う人がいるが、それは夢に対する冒涜である。夢は、むしろ、起きないようにストーリーを調整してくれているのである。飛び起きた悪夢の背景には無数の「起きた時には忘れてしまっている」夢が存在すると考えれば、夢のありがたさも増すのではないだろうか。p.100「独創的な発想」
②「神経症総論」
医師であったフロイトは神経症(ノイローゼ)の治療に興味を持っていた。錯誤行為や夢に着目したのも神経症の理解と治療のためであった。面白いことに『精神分析入門』の目次構成は、フロイト自身が研究してその成果を公表したのとちょうど逆の順番になっている。つまり、彼は神経症の治療から始め、夢に注目し、その後、日常的なしくじり行為にも目を向けるようになったのである。p.101「神経症の理解と治療」
現実の生活がきつくてそこに直面できないとき「防衛」という心的メカニズムが働き、それこそが症状なのだという。だから、神経症という病を、その症状としての言いまつがいとか夢に注目して精神分析という方法を実施することで患者は治るんだ!的なことだ。
2.心理学史上の位置付け
①精神分析と行動主義の新しさ
また、フロイトが人間発達において生後の養育環境を重視したことは、それ以前に優勢だった遺伝に基づく説明とは異なるものであり、人間の可能性を開くものとして、新大陸アメリカで受容される原因でもあった。(中略)一般に行動主義と精神分析は水と油のように考えられることもあるが、人間の生後の経験・環境を重視するという点では一致しており二〇世紀の新しい人間観を形成するものであった。p.105「新しい人間観としての精神分析」
ちなみに、女性のノイローゼの症状は子宮の存在から説明され、治すために子宮摘出も行われていたらしい。逆に酷くなりそうだ。彼の精神分析は、投薬を伴わない点なんかからも心理学と親和性が高く、後にエリクソンはフロイトの精神分析からアイデンティティの理論を作り上げている。
今でも文芸批評なんかだと、フロイトの『精神分析入門』なんかを参照して、その意味を論じてたりはする。ただ、さすがに治療という意味で理論を援用するには古すぎる。例えば、女性蔑視で父権主義的というように本書の時代背景は今とは非常に異なるし、その後の心理学の発展を無視するただにはいかないだ。それでも、無意識について人々が考えるようになった大きなきっかけとしての価値は当然にある。
- 作者: フロイト,Sigmund Freud,懸田克躬
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2001/06/10
- メディア: 新書
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