The long waiting

If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.

平成18年8月26日の自殺未遂①

 夢のなかでぼくは自分のカルテを見ている。カルテはぼくについて重要な情報が書かれているが、普段ぼくが目にすることはできない。そこには、ぼくが三十何年生きてきたとは思えないほどとても簡潔に、そして、まるで他になにか重大なことはなかったかのように二つの事柄だけ記されている。

 

①昭和◯◯年◯月◯日、△△(地域名)で誕生

②平成18年8月26日に自殺未遂

 

 夢のなかで不動産の下見にいった。その物件に住んでいる外国人と殴り合いになったことは覚えている。このカルテを覗き込んだのは、その前かその後か。そこで見えたのがこの2行だ。今日は平成29年2月26日。

 

 夢で体験したことなんて一々覚えていない。でも、まれに見るとにかく印象に残った夢についてはメモをとることにしている。精神的に大きなショックを受けた後は、とくにこういった夢を見がちでメモが厚くなる。夢は自分自身について、普段の"ぼく"が思い出すことのできない何かを"ぼく"が"ぼく"に暗示していると考えている。

 

 平成18年8月26日に、なにか自分が自分を傷つけるようなことをしなかったのだろうか。

 

 まず思い出したのが包茎手術だ。夏休み中に実家で盛大に飲んだ後、リビングで寝ながらトランクスからはみ出しているところを見られたらしい。私の母親はよかれと金を渡して来る人だった。当然良かれと思って、そして恥ずかしさを隠すために半笑いで。

 

 私自身も仮性包茎をとても強く気にしていた。半笑いでお金を受け取り、上野クリニック鶯谷医院でひとつ上の男になった。とはいえ、自分のコンプレックスを克服するために心を殺しながら羞恥心を飲み込んだのは事実だ。今思うとかなり精神的にこたえる事柄だった。

 

 次に思い出したのが、絶叫マシーンだ。とにかく激しいああいった刺激が昔から苦手だった。例えば、ドラえもんの長編で煙の中からガスマスクをした人間が出てくるシーンで怖くて震えていた。しかし、幼いころに家族で遊園地に行った際、父に絶叫マシーンに乗るよう半ば強要されたことがある。怖くて仕方なかったので断っていたが、しつこい父に負けてアトラクションのゲートまですすんだところ、規定上、身長が足りなくて乗らずにすんだ。

 

 そして平成18年頃、友人らと遊園地に行った。しきりに乗ることを勧められるが断ったものの、「乗らないことは空気を読まないことだ」といった具合に友人に強く勧められ、他人の視線を無視できずに結局乗ることになった。

 

 乗ることを決心してから降りるまで、あまりの恐怖に自分の感情が一切わからなくなった。まるで他人事のように自分が自分を観ていた。人は自分の感情を殺せるのだ。降りた後は謝られても一人別行動で、ひたすら第三者の視点で「なぜこういった事態が生じたのか」を分析していた。とにかく自分の感情を殺していた。

 

 この夢をきっかけに思い出した。実に自分の人生で自分を殺してきたエピソードがある。それでも、傷つけていたことにすら気がつけなかった。ここまで二つのエピソードを記述したけれども、前後の状況や他者の証言から、これらは平成18年8月26日に起きたことではなさそうだ。

 

 もう一つのエピソードと当時の自分の生き方は後日かいてみる。

 

 

 

1973年のピンボール (講談社文庫)

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 村上春樹が好きだったのは、今思うと家族の登場しない都市的生活と、自分自身をまるで他人のように捉える静けさの視点だったのかもしれない。

 

わかりやすい「解離性障害」入門

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