昔の映画を地続きで感じたい
歴史の映画が好きだ。特に好きになったのはここ数年だと思う。好きになったのは二つの映画の方向性の分類ができたからだ。
ひとつ目は昔の作品で音声も映像もよくないけど、どうしても見たくなってしまう作品に触れる機会があったこと。いわゆる古典だと思う。これは黒澤明『生きる』だ。あまりにもわかりやすい役人像、、、と思うけど、最後に若手の役所職員が見る風景をつい思い出しててしまう。
もう一つは、第二次世界大戦を否定するのが念頭にある戦争映画ではなくて、「なにか描きたいテーマがあって、そのテーマを描くために適切な時代設定が第二次世界大戦だった」くらいの温度の映画だ。
良作に共通してることとして、昔の人の死を自分の死のごとくに信じられる。戦争映画は反戦かどうかは必ずしも、問題ではない。例えば、『出口のない海』は書き手は現代の小説家で演じるのは歌舞伎役者だ。
とりわけ、時代の大きな流れから人間が生きることを諦めて現代的に登場人物が残す言葉に、創作の力を本当に感じる。良質な創作はみずみずしく過去を作り上げて今の僕たちに"追体験"する機会を与えてくれる。『この世界の片隅に』で主人公が居場所を捜して、誰かの居場所になることを選ぶシーンにも。
ひょっとしたら違う歴史があったのかもしれないと思う。自分の事柄として感じられる仮定法の過去、現在、未来というところか。
「そんな未来もあったかもね」
もちろん捜索で他人事だ。でも、ひょっとしたらこうだったかもと、読者を当事者として物語の舞台にコミットさせて想像を膨らませてくれる作品がたまらなく好きだ。