The long waiting

If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.

ペットの死の受け入れ方について

実家に帰った。親との関係は例のごとく微妙だが、ああせい、こうせいみたいな関係の持ち方はほぼなかったと思う。あっても適当に受け流した。会話がしたいといいながら、一方的に話し続ける姿をきもいなあと思いながら聞いていた。とはいえ、今回はそういった割り切りができていたせいか、快適な滞在だった。もっといたいなとも思えた。

 

さて、そう振る舞えた根拠となる確信がある。おれと彼/彼女らは別人格なのである。だから、いちいち批判には真剣に対応しなくていい。とはいえ、そういった覚悟のできていない弟は、父親からのきもい批判を受け入れていて、なんだか気の毒であった。

 

一点だけささった、おれもくらった父の言い分はこんな感じである。60、70を過ぎると孤独だから子供をつくった方がいいよということだ。とはいえ、今、思い起こせばおまえそれを子どもに言うのはどうなんだよというキモさを感じたぐらいである。せめて孫の顔が見たいくらいの直接的な表現をしろよバカと思う次第です。

 

話題を変えよう。実家には猫がいる。

 

この猫は、家族のみんなが愛でてきたところで、いわば家族の結束点であった。はっきりいってすごくかわいい。ロシアンブルーです。人懐っこさも半端ではない。家に来た友だちの肩に登って、ひとしきり髪のにおいをかいだ後、喉を鳴らして、反対の肩から降りてしまうくらいひとなつっこい。膝の上に乗ったら、満足いくまでどこうとしない。

 

家族みんなの関心がばらばらでも、彼女(メスです)の存在は共通の話題をもたらし、関心を注ぐ対象であってくれた。彼女が、話題というかたちで家族をつなぎとめてくれたのだ。

 

そんな彼女は、現在17歳くらいになろうとし、今まさに、死に瀕している。呼吸のペースは早く、その度に彼女の腹を激しく膨れて萎む。一度の呼吸で得られる酸素量が少なくて、とても苦しそうだ。かつての毛並みの美しさも失われている。

 

今回の帰省を通して、僕は彼女のことを愛しているのだなと思った。終始ベットの上でぐったりして腹を懸命に動かしている彼女の、額やらあごの下を撫でてやった。のどを鳴らしてたので、喜んでくれたみたいだ。彼女からのご褒美みたいな好意の表現という返礼はこれくらいで、名前を読んだら返事するとか身を摺り寄せてくれることは、なしである。不快な場所を触ったら足でけられる。それでも、嬉しいところをなでればのどを鳴らす。のどを通して、ぼくらにとって大切な場所を教えてくれる。

 

おれの内心といえば、もうすぐ死ぬのであるから楽しい時間をちょっとだけでも増やせればなと思ってのマッサージであった。

 

さて、このマッサージが面倒くさいのである。どれだけやっても満足しない。それでも、心の底から何かをしてやりたいと思った。また、親から、彼女へご飯の給仕のために毎朝早朝に起こされて、死ぬほど面倒くさい時期があったという話も初めて聞いた。夜のうちにたくさんご飯を入れておくと湿気て気に入らないらしい。

 

なんて面倒くさい猫なんだ。とはいえ、それでも何かしてあげたいという感情がわいた。そして思った。今、喜んでくれたらそれだけでうれしいんだ。これってきっと愛だよね。すごく動物的で、単純化された愛だと思うけど、愛は愛だ。

 

ちなみに、うちの子はとても勘が鋭く、おれが一人暮らしを始めるときにお別れの挨拶をしたときは、玄関まで走ってきて東京に行こうとするおれの足に抱き着いて離さなかった。今回も、ずーっとぐったりしてたのに、「いつもありがとう。今まで生きてきてたのしかったかな?おれは君がいてくれて楽しかった。絶対また会おう。死なないでね。」と声を掛けたら、疲れた体を起こして見送りに来てくれた。やっぱり素敵だ。

 

そういうと、なんだかもう会えないみたいだけど、また会いたいなあという気持ちでいっぱいである。そして、猫アレルギーだからという理由で、長く逗留することはなかったけれど、おれは猫にあいたいという動機づけを失ってからも実家に帰るんだろうか。

 

なんとなく帰るような気がしている。両親と会う時間はとても大切なものなのだろう。例え、両親があまりにもまともでなくても。

 

最後にみゅんへ

 

どうしても会いたいし、なにか君のためにしてあげたい。おれは君が大好きなんだ。君に会えた時間がとても愛おしいし、もっと側で一緒に過ごしたい。君が苦痛を忘れるためだったら何だってしてあげたい。君のためにまた会いに行く。今日と昨日は本当にありがとう。また、絶対に会おう。