The long waiting

If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.

If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.

 仕事が苦手だ。というよりも、正確には集団競技とか集団作業が苦手なのだ。そして、自分が個人ではスペックが高いと信じつづけていたが、仕事が苦手だと確信するに至るまでおおよそ三十年程度も時間がかかった。

 

 職場では怒りっぽく身体が常にこわばっている。マッサージを受けると、大抵相当こっていると言われる。焦っている時につくった書類の誤りを指摘されると腹が立つ、極端な時だと露骨に嫌な顔をする。頭のなかでは指摘した人を憎悪を感じながらめちゃくちゃに攻撃する。そして、事務仕事の処理速度は早いらしい。仕事の勉強は重ねる方で、弁は立つと思う。

 

 どうしてこうなってしまうのだろうか。ぼくは誰かに認められないとそこにいてはいけないという気持ちが強く、周囲に認められたいがためにむちゃくちゃな努力をしてきた。仕事に関しては常に誰かが代わりにいるのだ。そんなぼくにとっての、焦って仕事が回らなくなるということは自分が役に立たないということの証明である。周りから指摘をもらうととても不安になってしまう。 

 

 つまり、仕事はチームプレイというよりもグループで何かを進めながらそれぞれのプレーヤーが別個に採点される個人競技のようなものだ。社会とは常にほんとうに厳しい競争にさらされる場所で、無能な人は即座に居場所を失うのだと。そして、そんな不安定な環境で生きているから自分の心の平穏を保つために常に誰かより凄いということを誇示し、自分に正しいと言い聞かせ、自分の周囲への優越感を確かめていたのだった。周りは自分の道具であって相手を助けることは、自分の時間の浪費であると。

 

 仕事が苦手というのはそういうことだ。チームプレイが苦手で、いつも周囲のことを意識して身体をこわばらせて神経質に仕事をこなし、ミスを量産する。

 

 ただ、そういう考え方から抜け出しつつもある、、、気がする。世の中そんなに居場所を争わなければならないほど厳しくないのだ。少なくともぼくの身の回りはそうだ。特に職場は社員をかなりかばってくれる。お互いに助けあう文化ができている。ぼくは今までその善意を受け止められなかった。自分の人に思ってもらえるほどの価値を信じられなかったし、相手も打算でそのように振舞っていると信じていた。周囲を敵や競争相手と考えて、常に自分を守っていたことで職場の雰囲気を悪くしていた。

 

 自分が役に立つということを証明するために人の役に立ちたいと常々思っていたが、最近は相手のために役に立ちたいと思うことも増えてきた。どうしてだろう。今日、新たに自分が同僚のことを見下して、ひどい扱い(社会人の振る舞いとしても好ましくない)をしていることに気がついて謝罪した。ひどく恥じたが、以前だったらこんなことも気がつけなかっただろう。

 

 過度な緊張がほぐれてくると作業スピードはみるみる落ちた。でも、身体のこわばりはすこしづつほどけつつある。なんてことはない、周囲の目を気にして過度な負担をかけて自分をハイスペックにみせていただけだったのだ。ぼくは自分が仕事が本当は苦手で、ぼくのかわりはいくらでもいるけど、それでもここに居場所はあるという確信を持ちつつある。居心地の良さを感じると、その場所のみんなのために何かができると思え、何かをしたくなってくる。

 

 とても観念的な文章になってしまった。でも、これが一番率直に表現した気持ちだ。そういうわけで、題名のとおりにブログの副題も変えてみました。まわりとの関係の中での居場所というのがとても大切な言葉なのだと気がつく。

 

 If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.

 

 

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