The long waiting

If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.

2018年のある労働者の言葉として

ぼくは今、横山克の100分de名著のopを聞きながらこの文章を書いている。そして、ここ何週間、自分の仕事への向き合い方を考えている。

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さて、今日、異動に伴う職場の歓送迎会があった。「異動に伴う」って行政っぽいよね、振り返ると、そもそもぼくは就職活動時には社会科学における言説が実践とつながっていないことにいら立ちを感じて、実践の場として今の職場を選んだのだった(とはいえ今は、そのとき意識できなかった自身の背景の気持ちが今ではわかる)。内定ありがとう。しかし、就いてみた仕事はとかく既存のルーティーンを回す業務が中心であった。

 

そして何年も働きながら、これまで様々な形で、文章を、演説としても言説を、自分の血肉として、未来へのアイデアを残してきた人たちの成果を生かせずにいる自分と、こんなはずではなかったとルーティーンに向き合えずにいる自分を感じてきた。僕は常に前者に共感する自分に不全感を覚え、一方で現実には後者としての自分をもって仕事に打ち込めずにいた。

 

つまるところ、プライドの高い使えぬ奴であったわけだ。ちなみに、覚悟もないのでぬるま湯につかりながら転職もできずにいた。

 

調子乗ってますが、心情としては鈴木庫三が当時の陸軍で感じた孤独感にたいそう共感した。本書においては、主人公の鈴木庫三が、戦後は戦時における悪名高い言論統制の先頭に立つ諸悪の根源とかたられていたが、実際の彼は根性論中心の陸軍における孤立したインテリであり、戦後に語られてきた当該人物像と実際に彼が歩んできた道の差を扱っている。

言論統制|新書|中央公論新社

 

ところで、今日こんな記事を読んだ。

toyokeizai.net

 

さて、話は飛ぶけど今日の歓送迎会に戻る。実は、歓送迎会の対象となる異動の直前に、たまたまアイデアを生かす仕事を請け負うことになった。上述の記事における「発散的」な仕事である。言わずもがな、ルーティーンは「収束的」な業務だ。今日は、その「発散的」な仕事ぶりをとても褒められたのである。おいおいまじかよ、というほど褒められた。

 

ぼくはすごくうれしかった。ほんとうに、マジでうれしかった。でもなんでそんなに褒められるかわからない。ていうかなんでお前らできねえの?だってあたりまえじゃね?という気持ちである。周囲からの称賛の一方で、自身の自己肯定感の低さから、その肯定をうまく受け止めることができずにいられなかったのだ。すごくうれしかったというのは、今、家に帰ってstrong zeroを飲みなからだからこそ言えることだ。

 

さて、そうして人事異動で別の部署に送られたわけであるけれども、今の部署での仕事は、上述のルーティーン中心の仕事である。前の部署以上にルーティーン中心だ。

 

なんというか、うまく言えないんだけど、とりあえずは今の仕事を頑張ってみようと思う。ルーティーン中心でも、ルーティーンを変えるという役割があるはずだ。あと、お前ルーティーンがんばれ。一応、仕事をやめようと思って、改めて大学にも入り、今年、専門職の試験を受けてみたわけだけれども、まだその最終的な結果はでていない。

 

今日の時点では結果はわからん。でも、とにかく今は、与えてもらった仕事を頑張ってみようと思う。

 

さて、strong zeroを飲みながら、久しぶりに『現代政治の思想と行動』を開いてみた。ありがとうstrong zero。福祉だから税を免除しろよ。

 

かつて、丸山眞男が社会科学すら戦争に使えない日本を嘆いていた。すいません、よっぱらっていたからか、同書上では見つけられなった。めっちゃ気持ちわかるよ。一方で、おれはなんとか頑張れば一日の少しをその実践に過ごせる立場にいる。そこには可能性がある。幸せな事実じゃないか。

 

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さて、また話を戻す。冒頭に挙げたぼくが好きな100分de名著のopで、かつて少しだけ表示されていたドイツ語がある。

 

Von allem Geschriebenen liebe ich nur das,was einer mit seinem Brute shreibt.

あらゆる書かれたもののうち,私が愛するものは唯一,自身の血でもって書かれたものである。

 

今まで、きっとその時その時の社会をそのまま受け止められない程度に不適合で、とにかくその違和感と、違和感をもたらした原因を、言葉にしないと死んでしまう連中が紡いできた言葉を力及ばずながら受け継いでいこう。その気持ちを頑張ってアカデミアの世界で何とか言葉にしてきた連中の言説を受け止めながら、おまえらの気持ち無駄じゃないよ、と思いながら生きてみようと思う。

 

その生き方って何だろう?偉人を敬うんじゃない。どう読み返してもフーコーとかとか、かなり来てるだろう。にもかかわらず、それは同じ社会不適合者への共感とその気持ちを受け継ぎたいという前向きな意思だよ。

 

うまく言えないけど、かれらの遺産を引き継いでいきたいなと思った。そして、行政は意外とそういうことを生かせる立場にあるのだよ、と思った。

 

試験に受かったらその立場で何とか生かしていきたい。落ちたら落ちたで頑張る。いや、受かっていてほしいよ。まとまってねえけど今日はここで、おしまい。どうしても書きたかった。