The long waiting

If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.

毒親を〇したいけど、毒親の親もあれだし、それも踏まえて子は親のことをどうだと思うこともある

 父(「あいつ」)について語りたいと思う。長いので、章立てで分ける

 わかりやすく貧困と結びついた、金がないのに何かに費やすタイプのクズではない。金はあるけど自分が抱える不安を抱えて傷ついてきながら、まわりに不安を怒りで表現するタイプのあれだ。

 

1 「あいつ」のあれらしい話

2 親があれだと困るという話 

3 「あいつ」との関係を通じて〇すを学ぶ

4 で、おれは「あいつ」のことをどう思ってるの。

5 「あいつ」との関係どうする。

 

1 「あいつ」のあれらしい話

 

 まず、父の印象だ。父らしい性格を語るエピソードとして、昔のことで一番記憶に残っていること。ミニ四駆が流行っていた幼少期、モーターと何か別のパーツが欲しかった。両方は自分の持ち金の範囲では買えない。片方が限界だ。でも、俺は「両方ほしい。〇〇(モーター)の分のお金を出すけど、たりないから△△(タイヤ)のお金を出してもらえたらうれしいな」ということを言いたかった。でお語彙が足りなくて「おれが〇〇(モーター)だすから、△△(タイヤ)のお金をだしてほしい」と言った。

 

 まあ、ガキの要領を得ないお願いだよね。うまく言えなかった。小学校低学年だったと思う。父のその時のリアクションは「ふざけんな」と大声で怒鳴っておもちゃ売り場を離れるというものだった。

 

 あくまで象徴的なエピソードだ。この後、激情した父の「なめるな」という言葉とセットの暴力を挟んで何度も俺との間でこの関係は繰り返される。ちなみに、父は文学を好む繊細なガキだったが、体も弱くよくいじめられっ子にボッコボコにされていたらしい。

 

 さて、このミニ四駆の出来事で絶対に忘れられないことがある。俺は、母に言い方に気をつけろと叱られた。どうしようもない不全感を感じた。そしてこの後、父との同様の関係が何度繰り返されても決して母は俺を本気でかばおうとはしなかった。

 

 神経質な「あいつ」は、暴力と恫喝で家庭内の秩序の維持を維持し、思い通りにならないガキを威圧でしつけることしか知らなかった。まるでいじめられた出来事を再生するように。ちなみに「あいつ」の親父はアル中だった。「あいつ」のおかんは孫の借金しながらの大学進学を口頭で祝いながら、後述のように新興宗教に億単位で金をぶっこんだ。「あいつ」の弟はたぶん自己愛性パーソナリティ障害だと思う。

 

 「あいつ」との関係でもがいているころ、母は不幸せで緊張感に満ちた家庭から目をそらし、自分は家庭のために何かをやっていると言い聞かすことで心の安定を保ち続けた。まあ、母こと「こいつ」もそこに至るなにかをたくさんもってたのだ。

 

 端的に言う。父、というか「あいつ」は誰かの父になれるほど大人になれていなかったのだ。さらにこのキチガイの嫁こと母親は今だからわかる。「こいつ」も誰かの母になれるほど大人じゃなかった。あれじゃなかったら結婚しねーだろ。「こいつ」はあれだ、誰かに頼られることが好きで、頼られてない自分に気が付くと精神的に死ぬ人間だった。そのエピソードもたくさんある。ここでは語り切れません。

 

 2 親があれだと困るという話

 

 俺の条件とは異なって父、母がどんな人間だろうとも、一つ言えることは、虐待を受けた子供は、ある種の暴力的、衝動的な人間関係を身に着ける傾向にあるようだ。

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虐待された子どもたちは心だけでなく、脳の発達にも障害が生じるという。そのために例えば自閉症児と極めて似た症状や問題行動に苦しむ子どももいる。著者は多くの重篤な被虐待児の治療にかかわる中、このような精神医学的知見に達した。これは子ども虐待と発達障害の関係を探るという今日的な緊急課題でもある。この分野の世界的な研究者で臨床医である杉山登志郎先生が臨床例や研究から分かりやすく紹介する。

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 生物学的に父になるということと、社会的、情緒的に父になることは異なる。母においてもしかりだ。(参考:『そして父になる』)

 

 ちなみに「あいつ」のキチガイであることの傍証だが、別の子どももいる集まりで、集会所で寝ている「あいつ」を子どもが足でまたぐと本気で怒鳴る輩だった。子どもの親はひいていた。おれは、人をまたぐということがそこまで罪深いことだと知りおののいた。今はそう思ってもいない。

 

 そんなしょうもない「あいつ」は俺が中学生の時に脳梗塞で倒れた。ちょうど俺が柔道をしていて体格差が逆転する時期だ。たぶん、何もなかったら、俺は華奢な「あいつ」を暴力で殺していたと思う。絶対に殺していた。ダンプ松本が憎む父を殺すために茶碗に洗剤を縫っていた話をみてとても共感した。俺も同様のことをしていた。

 

 でも、そのころ丁度、「あいつ」は半身に障害が残る病気にかかり、おれが暴力をふるって殺していい対象でなくなってしまった。だって一方的な暴力の行使じゃないか。そんなことしたかない。でもまあ、元気に生きてたら殺してたと思う。絶対殺してた。日々、社会面をにぎわす猟奇的な事件のように。

 

3 「あいつ」との関係を通じて〇すを学ぶ

 

 例えばさ、お前を理不尽にいじめる奴がいるだろ、困ったらそいつは半殺しにすればいいんだ。金づちで骨を砕くとか。だって、半殺しにすれば、そいつはお前に近寄らないだろ。半殺しにしてそいつのツレもキレるじゃん。じゃあどうする?ツレも半殺しにすればいいんだよ。近寄ってきたら怖いって教えればいい。

 

 今のおれは極めて常識的な仕事をしている。良識の代表みたいな仕事だ。首にならないしごとです。生きていく上では社会経済的に最大限の安心だ。でも、おれはこの究極に追い詰められたら半殺しにしちまえっていう思考をどこかで持ち続けているし、捨てられない。生きていく上での十分な安心をいまだ持てていないんだよ。

 

 さらに言う。やたら威圧的ではなれられない存在のやつは逃げられない。家に一緒に暮らしてるようなやつ。「あいつ」な。存在を消さなきゃやってけないとする。半殺しにしても戻ってくる。どうする?殺すしかないんだ、殺せば安心できる。

 

 自分の内心を守るために人を殺すことはできるんだ。その感覚は皮膚感覚でわかる。

 

 おれは父との関係で殺す←→殺されるという立場がありうるということ、そのやるやれる立場はいつでも変わりうるということを、この世界の片隅で、暴力を振るわれ、威圧と恐怖のコミットを感じる中で実地で学んでいた。対人関係を支配ー被支配で理解する視点を内面化していた。

 

 そして、この関係のもうひとつわかりやすい特徴について話す。人が生き延びるためには「あいつ」「こいつ」みたいなやつとの関係の中で、自分への自信を育てられず、かつ、その結果を補うように自分の自信のなさを埋めるように誰かをぼろくそいうことで心の安寧を得るという方略があるということだ。いじめられるんじゃなくていじめればいい、

 

 率直に言う。俺はある人を精神的に追い詰めて殺す要因の一部を担ったことがある。これは推論だ。裏付けるエビデンスはない。でも、たぶん、そうだと思っている。

 

4 で、おれは「あいつ」のことをどう思ってるの。

 

 ところで、今だから僕は「あいつ」が倒れた時の率直な感情をこう振り返る。

 

 親、兄弟が見えないとこで死ぬほど泣いた。おれは「あいつ」が好きだったのだ。今、やっと認められた。

 

 なんというか、人格が好きなのと、振る舞いや言動が好きなのは違うようだ。友達だったら、話が合うからそいつが好きというのはある。ただ、親密な人間はどうやら違うらしい。

 

「あいつ」が好き、でも「あいつ」と一緒にいるのはつらい、みたいな感覚だ。

 

 振る舞いや言動は嫌いだが人格は「好き」になりたいという感情は成り立つらしい。だからこその毒親ものの葛藤なんだろう。

 

 葛藤がなければ、素直に〇しちまえばいいんだ。

 

 今度「あいつ」に正直に言ってみようと思う。

 

 「おれはお前の振る舞いがクズだったと思うし、お前なんか死んじまえばいいと思う。お前は親になれる人間じゃなかったし、きっとお前の親もくずだったんだろう(ちなみに「あいつ」の親は信仰に億単位で金を費やした。おれは借金して大学に行った。)。もう少しでおれはお前を〇してた。」

 

 「おれとお前の違うとこは、次の世代に親らしさを引きつがないために、カウンセリングをうけてることだ。おれはおれのクソなところを受け止めて何とかしようとしてる」

 

 「おれは絶対にお前みたいにならない。きっと、子どもができて、お前が孫に会いたいと思っても俺は絶対にお前に合わせない。なぜなら、お前らは俺と同じように親から毒を引き継ぎ、にもかかわらず実際に毒を引き継いでいることを心情的に受け止められないからだ。」

 

 「"今のところ"おれはお前の介護をする気はない。お前なんかクソにまみれて死ねばいいと思っている」

 

 「でも、おれはお前が好きなんだ。お前が幸せでいてくれればなって本当に思う。ただ、おれはおれが不幸せになってまでお前が幸せになれるといいなとは思わない。俺とお前は違う人間だ。」

 

 「でも、そう思える心情が、人が人を思うこととか、もっともっと普遍的にだれかがだれかを救いたいとおもえる原型というか、そんな感情があることが、俺を含めただれにとってもの人生の救いな気がする。」

 

5 「あいつ」との関係どうする。

 

 ハッピーエンドは俺も「あいつ」と「こいつ」が幸せになることだけど、少なくとも俺の思うとおりに考え方が変わることはない。

 あいつらはおれのお供とか道具とか部下じゃない、どうなるかはぜんぜんわからんけど、おれはできるだけ後悔して死にたくない。